工業出荷額の半数を占める

- 北九州イノベーションギャラリーは
産業技術の承継を目的に建設された
東田第一高炉の建設場所は当時の八幡村。八幡村はその後、八幡市となり1963年(昭38)2月、周辺の門司、小倉、若松、戸畑の5市が合併、北九州市が誕生した。当時の人口は103万人(人口推計、10月1日時点)と九州最大の都市で、同年4月には政令指定都市となる。現在、145万人の人口を抱える九州最大の都市、福岡市の人口は71万人(同)にすぎず、北九州市の存在は九州では際だっていた。
その要因は門司港が1889年(明22)に明治政府から米、麦、麦粉など5品目限定で輸出を認める「特別輸出港」として指定を受け、九州の海上交通の要所として発展。さらに八幡を中心に工業都市として成長し、北九州市の人口は増加した。
北九州市の製造業における鉄鋼が占めるウエートは非常に高いものがある。北九州市の工業統計調査によると、同市が誕生した63年の工業出荷額は4560億円、このうち鉄鋼は2192億円とおおよそ半数を占める。その後、鉄鋼の割合は低下したものの09年は工業出荷額2兆3132億円、うち鉄鋼が8784億円で割合は38・0%だ。
産業技術史の拠点

- フジコーは独自技術で再生ロールを製品化
08年秋のリーマン・ショックが影響し、同市内で高炉を操業する新日本製鉄八幡製鉄所(北九州市戸畑区)、住友金属小倉(同小倉北区)ともに大幅な減産を余儀なくされ、08年末から09年中ごろまで低い操業度が続いた。しかし「中国などアジアを中心とする外需が高くなった」(新日鉄八幡製鉄所)ことから2010年に入り、高水準な生産に戻り、現在は活況を呈している。
東田第一高炉があった東田地区約120ヘクタールは2002年に新日本製鉄八幡製鉄所の一部を区画整理し、住居や商業施設などが立地するエリアに生まれ変わった。ここに北九州イノベーションギャラリーが07年4月、開業した。北九州市が工業都市として発展、蓄積した「人材」「技術」「産業遺産」の活用を目的に約31億円をかけて建設した。主な活動は産業技術史の調査研究や関連する図書の収集・公開、セミナーなどの開催だ。
中でも産業技術史の研究は開業以来、活発に行われている。「八幡製鉄所の設備・技術の変遷」というテーマで開業1年目に高炉とコークス炉、2年目に製鋼、3年目に圧延の各設備を調査研究した。1901年の官営八幡製鉄所開業当時の製鉄所や各工場内のレイアウト、さらに各工程で使われる機械、装置について詳細に調査し、それぞれ1冊の本にまとめた。調査に携わったのは新日本製鉄のOB。「今後は製鉄所だけでなくほかの分野の調査研究を行う予定」(北九州イノベーションギャラリー)としている。
ポスコへ納入

- 安川電機は高炉の制御システムで
国内シェア100%
北九州市内には鉄鋼関連の仕事を手がける企業が多数ある。圧延用ロール製造や製鉄所内の作業請負などを事業としてきたフジコー(北九州市戸畑区)。このほど再生加工した圧延ロール15セットを韓国の鉄鋼大手、ポスコへ納品することが決まった。圧延ロールは圧延時の熱や圧力で摩耗し、従来は廃棄処分されてきた。だが同社は摩耗した圧延ロールを新品同様に再生する独自技術を開発。国内外の鉄鋼メーカーに採用を働きかけ、ポスコでの採用が決まったという。「今後は国内のほか、米国や中国などの製鉄所にも営業する」(同社)方針だ。
フジコーのほかにも独自に開発した製品を国内外に展開する地場企業は多い。産業用ロボットが看板事業である安川電機は高炉の運転を制御するシステムで国内シェア100%を誇る。
【地域メモ】
北九州市には新日鉄八幡製鉄所のほか、住友金属小倉や東京製鉄などの生産拠点があり、今でも鉄の街である。ただ鉄鋼業の従業者数は63年に5万人を超えていたが、今では約8000人。各社とも鉄冷えの時期に人員削減を進めた結果だ。かつての社宅が今では分譲住宅となるなど製鉄所の外ではさまざまな変化が起きている。
取材:大櫛茂成(北九州支局)









