明治時代に、日本の職人が製作した家具を見て、外国人が「欧州の高級家具にも劣らない」とその品質に驚いたという。それは今も変わらない。近年、日本のモノづくり業界において、高い技術力を誇るだけでなく「消費者の感性に訴えかける、感性価値の高いモノづくりを」と訴える動きがある。東京の家具産業は以前から、自然素材の木材を使い、熟練職人の技と経験が使いやすさ、心地よさといった感性に訴えかけるものづくりを続けている。
芝地域から始まった東京家具
家具産業といえば地方産地の印象が強いが、実は東京も特注家具メーカーが集まる産地である。そのルーツは、東京都港区の芝地域。現在のJR新橋駅付近は明治時代以降、多くの家具職人が集まり軒を連ねた。同地で作られる、オーダーメードの高級洋家具は「芝家具」と呼ばれ、文明開化後の官公庁や丸の内のオフィス街に数多く納められた。関東大震災、第二次世界大戦の2度の被害を受けながらも復活し、昭和40年ごろに隆盛を迎えた。
その後、家具も機械による量産の時代を迎えた。芝地域は狭く機械を入れられないことや、住工混在の問題から、多くの職人が江東区、墨田区、荒川区などや全国の他の地域に移転した。結果、指物屋、張屋、塗装屋など各工程の職人による分業制の芝家具は衰退。その後、地方産地の東京進出にも拍車がかかり、都の家具産業も衰退の道をたどったのだ。
かつて東京芝家具組合連合会には、300社以上が加盟していた。その後継ともいえる社団法人芝家具協会のメンバーは現在、32社。この中には、かつて工場だった土地に建てたビルを管理する管理会社なども含まれており、現在も製造を続ける会社はごくわずかだ。
東京家具の現状
芝家具協会の会員、新橋木工所(東京都港区)は今も新橋4丁目に看板を掲げる。「芝にはもう工場もない。この地は終わりました、昔話ならできますけどね」と話す畑幸由社長は、現在85歳。昭和40年には、技能五輪国際大会、家具種目の銀メダリストを輩出したこともある。息子2人は跡を継がず、建築士になった。現在は、新規受注は受けないものの、「30年来のお得意さんらから、他に頼むところがない」と依頼され、同じ地で設計のみを続けている。
東京都家具工業組合(東家工)は都の家具製造の認可団体。都内各地の家具メーカーにより、昭和44年に結成された。同組合の理事長で、山口木材工芸(東京都北区)社長の山口千絵子氏は「かつては160社が加盟していたが、現在は69社」と打ち明ける。しかも芝家具協会と同じく、メーカーは少ない。山口木材工芸の社員も50人だったのが、現在は8人となった。この数年でも、良い家具を作ってきた会社が次々と倒産するのを見てきた。「暗いトンネルの先は、どこにあるんだろうという感じ」と明かす。
守る、はぐくむ
こうしたなか、東家工と東京商工会議所による産業振興策が始まった。08年に経済産業省による「JAPANブランド育成支援事業」に採択され、家具ブランド「tobi」を立ち上げたのだ。山口氏は、同事業を推進する委員長も務める。ブランド名は鳶職人の鳶と、「都美」をかけた。日本職人の魂と、東京都から発信する美しい家具の思いを込めての命名だ。都内の特注家具メーカー9社とデザイナーの岩倉榮利氏らによるブランドで、粋で鯔背な江戸っ子の江戸気質がコンセプト。参加メーカーのうち、もっとも若いメンバーは31歳。2代目3代目の役員も多く参加している。
08年度にブランドを確立し、09年度から国内の展示会などへの商品出展を開始。いずれも大好評を博している。2011年1月にはフランス、パリの展示会に出展し、東京都発の高品質家具として世界市場にPRする予定だ。オーダーメードの高品質、高価な家具で、これまでにテーブル、チェスト、コートハンガーが売れるといった成果も表れている。
支援事業は2012年度が最終年度。つまり、2013年以降は、これまでの活動を元に、各メーカーで事業を軌道に乗せなければならない。山口氏は「芽を出すのは5年先、10年先かもしれない。それでも、東京の家具職人の技を伝えるために、何かできたら」と切実な思いを込める。
【地域メモ】
東京都の家具産業が危機に瀕している。時代の流れとともに移転や廃業が増え、現在、メーカーは数えるほどと少なくなった。この産業を守り発展させるため、官民を挙げた取り組みが始まっている。消費のブームは振り子のように揺れる。東京家具が、暗いトンネルを越えて、世界や日本の市場で、従来とは違う形で再興する日を信じてやまない。
取材:森崎まき(東京支社)









