いまだ活かされない安全教訓、資格と免許は業務許可証と認識すべき
安全の問題は、また危険の問題でもある。この危険に対する無知・無茶・無意識のために、多くの災害は発生している。無知は知識の不足、無茶は技能の不良、無意識は態度や心構えの欠落が主なる要素で、近年発生する災害は、これら無知・無茶・無意識によって起こってしまった過去の事例の、安全教訓が十分に活かされていない結果であることに、筆者は歯痒さを感じる。
昨年発生した、研削砥石破裂事故を例に見てみよう。外径15cm の砥石を高速回転させ、金属を研磨加工する両頭方式のグラインダー作業で事故は起きた。始業開始直後に大きな音とともに砥石が突然破裂し、その破片が作業者の右前腕部に直撃したのだ。現場検証によると、砥石に使用履歴の記録がない一方で、使用が禁止されていたはずの砥石の側面が、長きにわたり使用されている痕跡があった。また、ここが重要なところだが、被災者を含め、グラインダー作業をしている5名の作業者のうち3名は、研削砥石に関する特別教育を受けていなかった。このような職場でのゼロ災害の継続は、絶望的である。
作業の安全管理は、管理される側と管理する側の両方に責任が存在するが、第一に実施すべきことは、作業者に対する知識の付与と技能の慣熟化だ。今回のケースで考えれば、両頭グラインダーに対する始業点検の必要性の周知と、正しい使い方に関する知識教育である。知識のない人に「始業点検をしなさい」と指示を出しても、必要性は十分に伝わらない。そして、使用が禁止されている砥石側面であっても、一緒に働いているベテラン作業者が日常的に使用していれば、誰でも同じような作業をする可能性は大きい。 安全衛生法では、特に危険有害業務に関し、特別教育を実施するように規定している。安全に係わる法規は事後法であり、以前、実際に安全トラブルが発生したために、その類似災害防止を大きな狙いとして定められたものだ。つまり、その法規に抵触した作業行動を続けていれば、同様の災害が発生するという警告に他ならない。
ヨーロッパでは、「人類平和にとって最大の問題は、過去に起きた戦争や災害の教訓を活かさなかったことにある」と深い反省がなされた上で、さまざまな法整備を含む対策が取られている。日本でも、社会で共有される、安全文化づくりの一翼としてのコンプライアンス(法令順守)は今や常識となっており、資格・免許取得の重要性は、職場安全管理の必須条件である。そのため、安全衛生法には資格・免許に関する規定事項が多く見られる。同法3条1項では事業者の責務として「安全と健康を確保するために国が実施する労働災害防止の施策に協力しなければならない」としており、これに準じ、法規では「都道府県労働基準局長の免許を受けたもの又は都道府県労働基準局長若しくは都道府県労働基準局長が指定するものが行う技能講習を終了したもの」の中から該当業務に携わる作業者を選ぶように要求している。
資格・免許を取得すれば、絶対にトラブルは発生しないという保証などない。万全を期してもミスをするのが、人間というものだ。しかし、資格取得は安全作業の最低の条件であり、取得した知識や技能を活かす安全管理を実践することが重要だ。無資格・無免許による事故で本人が被災したばかりではなく、訴訟問題まで発展し会社が傾きかけた事例は枚挙に暇がない。一例を挙げてみる。
木材加工販売会社に勤務する被災者は、トラックの運転手であった。ワイヤーロープに束ねた重量850kg の原木を、クレーンを用いて荷台に積み込んでいたところ、ワイヤーロープの末端の環状部分が解けて落下し、彼はその下敷きとなった。脊髄損傷により、彼は1級の障害を被ってしまった。被災者とその妻は、会社側に安全配慮義務違反があったとして訴訟を起こし、総額1億6,500万円の損害賠償を勝ち取った。
この事例では、①法的資格が必要な玉掛け作業を無資格者にさせた、②作業者に移動式クレーンの免許を取得させていなかった、③玉掛けに使用してはならない台付け用ロープを使用させたなど、絶対に欠けてはならない安全配慮が、まるでなされていなかった。被災者は会社に、多額な賠償金ではなく、元の元気な身体を返して欲しいだろう。けれども、起こってしまったことは戻せない。
作業に必要な資格と免許は業務遂行の許可書であるとの認識がないと、管理する側も管理される側も高い確率で不幸になることを知るべきである。
イラスト 小島 早恵









