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第59回 宮城県「雄勝硯」、伝統工芸を未来につなぐ

ものづくり紀行
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東日本大震災では東北地方の伝統工芸も甚大な被害を受けた。その担い手である生産者は地域に根をはやし、歴史を形作ってきた"顔"であり、一般的な製造業のように移転して再起を期すというわけにはいかない。600年の歴史を持つ宮城県石巻市雄勝町の「雄勝硯(おがつすずり)」の生産者も同様だ。現地では後継者難などの構造問題を抱えつつ、伝統の維持と新しい時代に適応するための変化に向けて踏みだそうとしている。(写真 壊滅した雄勝の中心部)


震災から8カ月、仮設店舗で販売を再開

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倉庫から流された雄勝硯

硯の生産者や原石の採掘業者らで組織する雄勝硯生産販売協同組合(沢村文雄理事長)は、中小企業基盤整備機構の仮設施設整備事業を活用し、仮設店舗での販売を震災から約8カ月後の11月19日に開始した。

雄勝湾に面する雄勝町の中心部は10メートルを超える津波に飲み込まれた。海沿いにある石巻市雄勝総合支所(旧雄勝町役場)は3階の天井近くまで冠水。雄勝硯生産販売協同組合に所属する8事業所すべてが建物や設備を津波で失い、12人の職人のうち、1人が行方不明となった。「店舗兼事務所から倉庫まで、すべてが流された」。沢村理事長が経営する沢村製硯(せいけん)も店舗は跡形もなく、倉庫に保管していた硯だけが周囲に散乱していたという。

震災後、倉庫から流れた硯はボランティアの協力で3分の2を回収できた。回収した硯は再び磨き上げ、県内外の物産展などで販売した。「皆さんに協力していただき、本当にありがたい」と沢村理事長は感謝する。それでも、硯の生産を再開できなければ、本来の復興にはつながらない。


本格復旧には険しい道のり

国産硯のシェア約9割を持つ雄勝硯は、同地域で採掘する雄勝石を原料に、職人が手彫りで製造する。雄勝石は粒子が均質で硬度が高く、吸水率が低いといった特徴を持ち、建材などにも利用されてきた。

海抜400~500メートルの場所にある採石場は生き残った。「雄勝硯は歴史が長く、宮城県を代表する伝統工芸。伝統をつなぐことで県全体の文化の発展にも寄与する」(宮城県経済商工観光部新産業振興課)と周囲の期待も高く、同協組では再スタートの道を模索。仮設店舗での再スタートに結びつけた。

ただ、現状では硯の販売のみの再開で、生産には至っていない。採石場への道路が震災で壊れたままとなっているほか、石の加工設備の調達も課題だ。石の採掘業者も被災したため、組合では店舗とは別の仮設工場を設置し、採石から切断、研磨加工までを組合で運営することを検討中。本格的な再開までの道のりは依然として険しい。

後継者不足、食器加工の新事業をてこに

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雄勝硯・高橋inエポカ

さらに長い目で見ると、「一番大きな課題は後継者不足」(沢村理事長)という。職人の高齢化が進む組合では、震災を契機に店をたたむことを検討しているメンバー企業も多い。実際、現時点で操業再開の姿勢を明確にしているのは沢村製硯を含め数社にとどまる。

後継者育成には10年ほど前から組合として対策を講じてきた。硯に興味を持った東京の大学生を組合で採用したり、後継者候補を市の職員として募集したりと手を尽くしてきた。しかし、定着まで順調に行っていないのが現状だった。そこに追い打ちをかけるように大震災が発生した。

一朝一夕に解決できる問題ではないが、戦略がないわけではない。キーになるのが6年前に始めた雄勝石を食器に加工する新事業だ。

「食器の生産再開を優先したい」と沢村理事長は語る。雄勝石の気品のある黒を生かし製作した食器は料理が栄えると評判となり、ここ数年、首都圏の料亭などへの販売が好調だ。年々需要が減ってきている硯に比べ、引き合いも増加している。

そこで、まずは利益に結びつきやすい食器事業から立ち上げる。食器は機械を使えば加工できるため、工業高校の卒業生などが即戦力になる。食器のデザインには若い感性も生かせるはずだ。そして、若者に硯の手彫りなど熟練した技を少しずつ教え込んでいく――。こんな筋書きを沢村理事長は描く。

「硯は原点。何としてでも守りたい。食器の加工事業はいつかはなくなるかもしれないが、硯は絶対になくせない」と沢村理事長は力を込める。



【地域メモ】

宮城県の北東部に位置する旧雄勝町は05年に石巻市と合併した。津波の被害は甚大で、集落の存続自体が課題となっているほどだ。伝統工芸は海外に対して日本の魅力を伝える大切な産業。復活には国や地方自治体の支援が必要不可欠となる。

取材:陶山陽久(仙台総局)